名探偵苦難

殺人事件を舞台にした物語で、その場に居た探偵が
誰が、なぜ、どのようにして犯行を成し遂げたのかを
犯人や被害者の過去を交えつつ長々と説明したあと、
言い当てられた犯人が
「確かに僕が犯人です。でも動機はただお金が欲しかったからです」
って言ったらコメディで終わる気がするけど、
「動機はただ人を殺してみたかったからですよ」
って言うと一気にサイコホラーっぽくなる気がする。
動機がより単純化して探偵の推理との振り幅も大きくなるから
コメディ色が強くなってもいいはずなのに、なぜそうとは思えないんだろう。
動機の単純化にも限度があるんだろうか。
頭がおかしい人の描写にしては現実感がありすぎるんだろうか。
殺人が絡むか絡まないかでもまた話が違ってくる気がする。
そもそもホラーだと思ってるの自分だけか?

というようなことを最近考えていました。

キャンディー味の飴

飴っておいしいしかわいいし独特の雰囲気があって良いですよね。
中学生のとき学校帰りに飴を幾つか買って舐めながら帰ってたら、
後ろから来た見回りの先生に
「おい○○(苗字)、いま口に含んだのは何だ?」
って急に聞かれるという恐怖体験をしたことがあります。
買い食いで飴って今考えるとかわいいな。

飴がテーマで好きな曲ってどんなものがあったかなと思ってまとめてみました。
なんとなくタイトルに「キャンディー」が入ってるもの縛りで4つ。
某薄荷飴の有名な曲は、僕が薄荷の飴を食べれないので入っていません。

サイコキャンディー(もじょP)歌ってみた / 000

味のないキャンディー(YARUSE NAKIO)歌ってみた / まじ娘

キャンディーライム / TaNaBaTa

キャンディーキューティー / capsule

飴がテーマの曲まとめっていうか、歌詞に「キャンディー」って入ってるだけだな。

言い切り

深夜の誰も通ってなくて誰も見てないようなときには道路にある信号機もサボっててちゃんと動いてないんじゃないかみたいな、経験的にありえないとは思っていても証明しようとなるとできないことについて完全に否定しきることが昔からできない。九分九厘ありえないとは思っていても、もしかしたら本当に動いてないんじゃないかと思っているところがずっとある。別に信号機に意思があってほしいわけでもないし深夜に動いていようがなかろうがどうでもいいのに、とにかく確証がないと断言することができない。ビデオカメラを設置して監視したらいいんじゃないかと考えても、間接的に人が見るから動いていただけなんじゃないかみたいな、疑えるところはいくらでも出てきてどうやったって百パーセント納得するようなことはできないと思う。否定しきれない空想的なことを現実にあると想像するのも楽しいけど、証明もできないからもやもやしてしまう。もやもやはちょっとストレスになるからあんまり合理的じゃないなと思う。あと断言できるかできないかについて単純に確率的なものが関係しているような気もする。例えばこれから生きている間に犯罪を犯さないか聞かれたときに、全く犯す気は無くても一回でも犯せば犯したことになるから、生涯犯さない確率よりも随分高い気がして、犯さないと言い切ることができない。答えるとすると「犯す気はない」ぐらいになってしまう。ギャンブルで(確率的に)分が良い方に賭けたがるようなことを、しなくていい場面でまで適用している気がする。断言して間違うことを、賭けに負けたとか嘘をついたというように考えてしまうところがあるのか。書きながら考えてて同じなわけないだろと思ってきた。でもとにかく断言することに抵抗がある。答えが出ないことについてできるだけ考えたくない。保留できることばかりならいいのに。

ブログを更新することに無上の喜びを感じる

最近お手軽にやばい人を演じられないものかと模索していたところ、
一つの画期的な方法を発見しました。
それは日常の何気ない行動を表した文に、
「無上の喜びを感じる」という文を付け加えるというものです。
この記事のタイトルもそうですね。
まぁこれはどちらかというとただの大嘘になっていますが。
この方法を用いた例としていくつか挙げると、

・歯を磨くことに無上の喜びを感じる
・服を着ることに無上の喜びを感じる
・鍵を閉めることに無上の喜びを感じる
・郵便局に行くことに無上の喜びを感じる
・車を避けることに無上の喜びを感じる
・電池を買うことに無上の喜びを感じる
・頭を掻くことに無上の喜びを感じる
・お湯を出すことに無上の喜びを感じる
・薬を塗ることに無上の喜びを感じる
・あくびをすることに無上の喜びを感じる
・瞬きをすることに無上の喜びを感じる
・右を向くことに無上の喜びを感じる



いかがでしょうか。
なんだかそれぞれについてというよりもむしろ、
無上の喜びを感じすぎてやばい人みたいになっていますね。
しかしながらなかなか効果的な方法だと思います。
みなさんもぜひ日常で無上の喜びを感じてみてください。
それでは今回はこのへんで。

頭が濁っている

僕は昔から日本語の音声や構造について興味があり、
ふとしたときにそれについての疑問が浮かんだりするのですが、
最近一緒に留学している友達と談笑しているときに、
興味ないだろうなとは思いつつ、「濁音」について

・「かきくけこ」は濁ると本当に「がぎぐげご」になるのか?
・「濁る」とは何なのか?
・「はひふへほ」と「ばびぶべぼ」は本当に関係のある音なのか?
・それぞれの清音と濁音の関係は全て同じ法則に則っているのか?
というような疑問を話してみたところ、

まさかのテンションで
「あー! 僕も最近そういうのが気になってねー!
カフェで一人で『かかか…ががが…』『さささ…ざざざ…』みたいに言ってたらー
ちょっとずつ声が大きくなっちゃっててー!
『かかか!ががが!』『さささ!ざざざ!』みたいになっちゃってたの!
そしたら隣のテーブルに居た人にめっちゃ見られてて!
やっぱり言葉が通じなくても様子がおかしいっていうのはわかるんだなって思った!!」

っていう話をされて、

この話題に食いつかれて驚いたとか、
濁音とは何かとかそういうのはどうでもよくなって、
とにかく「こいつやばいやつだ!」ってなって、
その人に興味を抱くようになりました。

そのときのことを説明しているときですらかなり様子がおかしかったので、
実際の現場はもう本当に頭がおかしかったんだと思います。

見てみたかったなぁ。

車載系PV

あけましておめでとうございます。

最近車載動画っぽいPVっていいなと思ったので
今回はそういうのを羅列するだけの記事です。

Haruna / haruna808(初音ミク)

ツーステップ・ボックス / dosankolab.(初音ミク)

サイレン / ASIAN KUNG-FU GENERATION

Saturday / paris match

赤い電車 / くるり

おわり。

流動的コミュニティ

かつて自分が属していたコミュニティを久々に覗いてみたときに、
今の自分には合っていないと感じて、

「やっぱり自分は変わってしまったんだ」
「自分はもうここには戻れないんだ」

なんて考えてしまうことがあるけれど、
もしかしたら変わったのは自分だけじゃなくてそのコミュニティも同じで、
単純に自分が好きだった頃の姿とは変わってしまっているのかもしれない。

離れていたからこそ変化に気付けなくて、
ずっと内部に居た人の方がその変化に敏感で、
内心ちょっと「あれ?」って思っているのかもしれない。

「あれ?」っていう感覚が強くなった人たちがそのコミュニティを去っていっても
そのコミュニティはそのコミュニティとして存在したままで、
本当は外枠が同じなだけで中身はとっくに入れ替わっていて、
もう昔の自分から見ても好きなものではなくなっているのかもしれない。

久々に見たらやっぱり楽しくないままで、
本当は自分が去ったときともまた違う姿をしているのに、
楽しくないからその変化に気付けないのかもしれない。

自分が変わってしまったから楽しくなくなったのか、
周りが変わってしまったから楽しくなくなったのか。

どちらにせよ悲しいことだけど。