昔から面影がある?

「面影がある」って言葉あるじゃないですか?

あれの使われ方に違和感を覚えることがたまにあって、

たとえばテレビとかでタレントの幼少期の写真を見たときに

「面影あるね~」

っていうコメントをする人が結構いるんですけど、あれって正しいんですかね?

僕の感覚では、今の姿と昔の姿を見比べたとき「今の姿」に「昔の姿」が残っていることを「面影がある」って言うものだと思ってるんですけど、

「昔の姿」を見て、このままいくと確かに「今の姿」に成長していきそうだな~っていう感覚を「面影がある」って呼んでる人けっこういないですか?

だから、昔の写真を見て、そのあと今の姿を改めて見て、「(今の姿に昔の)面影あるね~」って言ってるなら分かるんですけど、どうもそうじゃないような気がするんですよね。

「昔から面影あるね~」とか言ってたりすると、完全に(僕の感覚とは)違うなって思います。

 

別の場面で「面影がある」っていう言葉を使う状況として、よく知ってる人の親を見たらやっぱり本人に似てたっていうパターンがあると思うんですけど、

あれは親という「時系列として先にあるもの」(つまり昔の姿)が、子という「後にできたもの」(今の姿)に形を残しているということなので、子ども本人に「(お父さんやお母さんの)面影があるね」って言いますよね。

これを親に向かって「お子さんの面影ありますね」って言う人はあんまりいないと思います。

 

 そうするとこの二つの状況で使われ方が違うっていうのは違和感があるので、どちらかに統一するとしたら「今の姿に昔の面影がある」っていう僕の感覚のほうになると思うんですけど、実際の用例としてはどっちも結構あって確信が持てないんですよね。

手近な辞書を見ても「あるものを思い起こさせる顔つき・ようす。例:目もとに父親の―がある。」(デジタル大辞泉)としか書いてなくて、載っている例は理解できるやつだけど本文に明確にどう使うか書いてるわけじゃないっていう。

 なんかどこかにわかりやすく説明してくれてる資料とかないかなって思いながら特に詳しく調べたことはないんですけど、もし何か心当たりがあったら教えてください。よろしくお願いします。

つむグミでDT砲できた フルver.

つむグミでDT砲を作ったというツイートをしたんですが、実はその続きも律儀に作ってましたという記事です。

 

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以上です。

ありがとうございました。

テトリミノの断面がこんなに汚かったら嫌だな。

140字でも苦労してるのに31字は無理

おつかれさまです。

今年に入って急に短歌に手を出し始めた者です。

先々月くらいから「粘菌歌会」というところに短歌を投稿しています。

 

 

 

粘菌歌会っていうのはざっくり言うと毎月設定されるテーマに合わせて一人3首まで短歌を投稿できて、募集期間の後に管理人さん達が気に入った短歌を選んで座談会を開いてその様子を記事にしてくれるサイトです。

去年から存在は知っていて記事を読んではいたんですが、今年、14回目で遂に自分でも投稿するようになりました。

座談会の中で触れられるような短歌は発想が斬新だったり綺麗だったりどれもおもしろくて記事を読むだけでも満足してたんですが、今はもしかしたら自分のが触れられるかもしれないっていうワクワクも加わってるので、更に読むのが楽しみになっています。

初投稿の第14回でいきなり話題に出してもらえて、第15回でも触れられて、上手くいきすぎてますが、今後もこの調子で頑張りたいと思います。

 

僕の投稿したものは置いといて、第1回から最新の第15回まで全部おもしろいので、興味を持って一度読んでもらえると嬉しいです。上のツイートから飛んでください。

 

ちなみに現在第16回テーマ「壊す」の募集期間中です。

締切が10日なのに全く思いつかなくてちょっと焦ってますが、1週間後の自分に期待したいと思います。

 

最近よく字数を気にしてたおかげでブログが字数無限なことに改めて気付いたんですけど、これはこれで難しいですね。

メモの墓場と自由律俳句

止まった時刻を伝える死んだ時計

 

受け取ったけど使わない遅延証明書

 

トイレに行くときしか通らないフロア

 

メモを取るか取らないかの瀬戸際

 

目薬をさすまで天井を見ていなかったらしい

 

夜間にしか押さなくていいことは知っている

 

トイレットペーパーの切れ目が見つからない

 

おいしいものを食べれば食べるほどおいしくないものが増える

 

ちょうど駅名が見えない位置だ

 

気付かないふりに気付かないふりをした 

大晦日だったり一周忌だったりする

2017年も今日で終わってしまうので、今年のことは今年のうちに振り返っておきたいと思います。

 

今年はなんといっても直前に家族が一人欠けたところからのスタートということで、基本的に最悪の出だしでしたね。

去年の12月31日に亡くなりましたからね。

今日もどちらかというと大晦日というか父親の一周忌っていう意味合いのほうが強いです。

 

初めて近しい人の死に触れて気付いたんですけど、自分の時間感覚が明確にあの日の「以前」と「以後」に分かれてるんですよね。

あの日以降、何をやっても「これやるの死んじゃってから初めてだな」とか、「これ前にやったときはまだ生きてたな」っていう気持ちになって、いちいちもういないという事実を再確認しているような、そんな感覚に陥ります。

 

ちょうど先日もそういうことがあったので、ブログの更新ついでに書かせてもらおうと思うんですが、

最近ちょっと大きめのタブレットが使いたいなーっていうときがあり、家のリビングにあった誰も使ってないiPadを借りてSafariを起動してみたんですけど、父親が倒れて入院する前、旅行を計画して自分で検索したのであろうタブがそのまま残っていて、なんかもう見てられなくなって、タブはそのままにしてとりあえず電源を切りました。

この件に関しての報告は以上です。

 

年末はいつもなんだかんだ一年ってあっという間だなぁっていう気持ちが強いんですけど、今年はことあるごとに後ろを振り返っていたので、むしろまだ一年しか経ってないんだなぁと思っています。

 

でもそれ以外の点では最近仕事のほうで良い方向に変化があったり、格ゲー界隈が盛り上がったり、暇さえあれば大喜利したりと楽しいことが続いているので、年末年始も楽しくテレビ見てゆっくり休んで、来年も頑張っていきたいと思います。

 

雑な締めですが今年の振り返りでした。

来年もよろしくお願いします。

今年のM-1は本当にコントばかりだったのか

今年のM-1が終わりました!

とろサーモン優勝おめでとう!

今までずっとギリギリ決勝にいけないところを見てきたので、

最後の最後で優勝できて本当によかったなぁと思います。

個人的なネタの好みとかはあるけど、

苦労した人が報われるのを見るとやっぱり感動しますね。

 

M-1復活してから3年間、明らかに決勝のレベルが上がってるというか、

全組おもしろくて本当にすごいですね。

結成15年まで参加可能になったのでそりゃ番組としておもしろくなってないとおかしいんですが、さや香とかカミナリみたいな若いコンビもしっかり活躍してて見ていてすごく楽しいです。

 

全組おもしろくて最高だったんですが、

漫才の大会なのにコントが多いっていう意見を今年も見かけましたね。

僕も以前このブログで漫才の形について簡単に書いたことがあります。

dueee.hatenablog.com

(嫌いなものばかり書くことに堪えきれず終盤好きな漫才の形について書いています)

 

そのときに書いた漫才の分け方っていうのが、

①二人とも素のキャラでしゃべっているように見える

②コントに入ってボケるがツッコミは(登場人物になるならないにかかわらず)素のキャラでツッコんでいる

③二人ともコントに入ってどう見ても普段とは別人格になっている(コント番組でもできる)

この3種類で、この順番通り個人的には①が一番好きというものでした。

 

このときは具体的な例は出さなかったんですが、

せっかくなので今回の出場者をこの3つに分けてみたいと思います。

あくまで僕の主観によるものなので意見は色々あると思いますし、

③の形だからといっておもしろくなかったと言ってるわけでもないです。

 

記憶に基づいて今日の出場者を振り分けてみると、

①→カミナリ、かまいたち、ミキ、ジャルジャル

①と②の間?→ゆにばーす、さや香とろサーモン(焼き芋屋さん)

②→とろサーモン(旅館)、スーパーマラドーナマヂカルラブリー

②と③の間?→和牛(ウェディングプランナー

③→和牛(旅館)

こんな感じです。

ツッコミを基準にして3つに分けてしまっていたので正直どこに入れたらいいのか判断つかないのもあるんですが、とりあえず直感で選ぶとこうなりました。

 こう見てみるとこれは漫才なのかって思ったのは最後の和牛くらいで、

言われてるほどコントばかりじゃなかったんじゃないかと思ってます。

 

和牛の旅館のネタに関しても、ツッコミの川西さんが旅館の仲居さんになっていましたが、ボケの水田さんは本人としてコントに入っていたので途中までなら②と③の間に入れたと思います。

ただ、最後の職業聞かれたところで「じゃらんで働いてる」と答えたのを見て、

(じゃあ水田さんでもないじゃん‥‥)と思ったので一応③になりました。

でもコントに入る前の「旅館の仲居さんが苦手」っていう会話がなかったら水田さんのキャラも伝わらないから、コント番組ではできないだろうし、やっぱり③とまではいかない気もします。

サンドウィッチマン宅配ピザとかハンバーガー屋さんのネタは、その職業の役になりきるのがボケのほうなのでコントでも漫才でも違和感なくできるのかもしれませんね。

 

なんか色々ごちゃごちゃ考えていましたが、とにかくどのネタもめちゃくちゃおもしろかったのでどうでもよくなってきました。

お笑い芸人さんのことを本当に尊敬してるので、これからも楽しく見ていきたいなと思います。

大喜利プラスにいます。探さないでください。

お疲れさまです。

高校卒業以降「お疲れさまです」っていう挨拶が異常に増えますよね。

会ったときも別れるときも「お疲れさまです」ってみんなどんだけ疲れとんねんって思いながら日々を生きています。

 

疲れた身体は笑いで癒しましょう。

ということで最近「大喜利プラス」というサイトに出会いまして、

基本的に暇なときはここで面白いこと言おうと考えながら生活しています。

このサイトについて簡単に説明すると、

参加者は各自3分間でお題に沿った面白いことをひとつ考えて、

そのあと各自が匿名で表示された全ての回答の中から面白いと思ったものをふたつまで選びます。

最後に得票数の多いものから順番に誰の回答か名前付きでランキングが発表され、

一番得票数の多い1位の人が次のお題を考えて、またみんなでそのお題に対して回答するということを繰り返すサイトです。

 

今まで大喜利好きです〜って言いながらも基本的にただ面白いものを見て享受するだけの立場だったんですが、

このサイトの最短3分で結果がわかるお手軽さと今はまだ多くても100人くらいしか参加してない小規模さが気に入って、始めてみました。

 

始めてみて改めて思ったんですが、

やっぱり面白いことを考えるのってむずかしいですね。

特に3分間という縛りは厳しいです。

僕は今まで初期のネタボケライフのログとかを見漁って生きてきたせいで、

頭のおかしさこそ正義みたいな価値観がガッチリと形成されてるんですが、

あれはあのサイト特有の価値観だったようで、

同じネット大喜利でもサイトによってウケるものは違うようなんですね。

僕はどちらかというとそういう突拍子もないことを考えるのは苦手なので別にいいんですが、ネタボケライフで初期から活躍されてる方が全然票入ってないの見てそう感じました。

 他人が何を面白いと思うかってぜんぜんわからないですね。

自分の別にそんなに自信がないわけじゃなかった回答が、20個くらい出揃った回答の中で唯一1票も入ってなかったとき卒倒しそうになります。

 

ほどほどに評価されたりクソ滑ったりしながら日々を過ごしてますが、

面白いこと考えようとしながら生きるのは悪いことじゃないなって思います。

これをもっと何か形に残せればいいんですが。

 

大喜利プラス、みんなもやりましょう。

ただ、僕のことは探さないでください。