かわいそう

「かわいそう」という言葉の意味というか使われ方には2種類あると思う。

ひとつは不慮の事故にあった人に対する「かわいそう」で、
もうひとつは自分と価値観を共有できなかった人に対する「かわいそう」。

前者の「かわいそう」は相手に対する単純な同情の気持ちで、そこに悪意は存在していなくて、何か理由のない不運に苦しめられた人に対してはこの感情が働くのは自然なことだと思う。
でも、後者はそうではない気がする。

前者と後者の間の決定的な違いとして、「優越感」という要素があると思う。
例えば後者の例として「この面白さが分からないなんてかわいそう」、「あのアニメを見たことがないなんてかわいそう」という言葉を耳にすることがあるけど、そこに含まれる「かわいそう」には単純な同情の気持ちよりも「自分はその面白さが分かること」「そのドラマを見たことがあること」への優越感の気持ちのほうが多く含まれているような気がする。

悪気があって言うのか無いのかは知らないけど、どちらにしてもそこで使われる「かわいそう」という言葉は不適切で嫌らしいものに見える。
大抵は故意の煽り目的だと思うけど、その悪意がとても苦手だ。

仮にもしそのアニメを見たことがないことを本当に残念に思っている場合でも、「かわいそう」だと言わずにただおすすめすればいいだけだと思う。
より効果的に勧めたいのかもしれないけど、「かわいそう」は逆効果だと思う。

書いてるうちに優越感の有無が関係あるのか無いのか分からなくなってきたけど、とにかく例で出したような悪意ある「かわいそう」が好きじゃないという話。