言い切り

深夜の誰も通ってなくて誰も見てないようなときには道路にある信号機もサボっててちゃんと動いてないんじゃないかみたいな、経験的にありえないとは思っていても証明しようとなるとできないことについて完全に否定しきることが昔からできない。九分九厘ありえないとは思っていても、もしかしたら本当に動いてないんじゃないかと思っているところがずっとある。別に信号機に意思があってほしいわけでもないし深夜に動いていようがなかろうがどうでもいいのに、とにかく確証がないと断言することができない。ビデオカメラを設置して監視したらいいんじゃないかと考えても、間接的に人が見るから動いていただけなんじゃないかみたいな、疑えるところはいくらでも出てきてどうやったって百パーセント納得するようなことはできないと思う。否定しきれない空想的なことを現実にあると想像するのも楽しいけど、証明もできないからもやもやしてしまう。もやもやはちょっとストレスになるからあんまり合理的じゃないなと思う。あと断言できるかできないかについて単純に確率的なものが関係しているような気もする。例えばこれから生きている間に犯罪を犯さないか聞かれたときに、全く犯す気は無くても一回でも犯せば犯したことになるから、生涯犯さない確率よりも随分高い気がして、犯さないと言い切ることができない。答えるとすると「犯す気はない」ぐらいになってしまう。ギャンブルで(確率的に)分が良い方に賭けたがるようなことを、しなくていい場面でまで適用している気がする。断言して間違うことを、賭けに負けたとか嘘をついたというように考えてしまうところがあるのか。書きながら考えてて同じなわけないだろと思ってきた。でもとにかく断言することに抵抗がある。答えが出ないことについてできるだけ考えたくない。保留できることばかりならいいのに。