カプコンカップを見れなかった

一年間楽しみにしていたカプコンカップが終わった。
生では見ることができなかった。
動画もまだ見ていない。
結果は速報で見た。
相当おもしろそうだ。
でもいま動画を見たところで生配信で見る興奮には遠く及ばないだろう。
そう思うと動画を再生することにも気が進まない。
もうこの大会が持っていた魅力を最大限に楽しむことはできない。
かと言ってこのまま見ないわけにもいかない。
見なくて済む程度のレベルで楽しみにしていたわけではない。
ずっと楽しみにしていたからこそできる限り楽しみたい。
いまできる一番の方法で大会を楽しみたい。
それがどうすればいいのかわからない。
最初から通して見る気力は起こらない。
生配信を再現すればするほど楽しみきれていないことが悲しくなってしまう。

何でも最大値と比べるせいで損をしたという気持ちになる。
昔からの悪い癖だと最近強く感じる。
この癖のせいでやらなかったことがたくさんある。
とっておきのことがとっておかれたままでいる。
そのまま熱が冷めてしまっている。
結局いちばん楽しめない方法をとっている。
考え方を変える必要がある。
最大限に楽しめなくても、やらないよりはやったほうが楽しい。
もっと気楽に生きる必要がある。

好き嫌いのセンス

音楽とか漫画の趣味について話をしているときに、
有名なのを好きだっていうとセンスが無いって言われて、
あまり人に知られてないのを言うとセンスがあるって言われるみたいな、
好き嫌いに対してセンスがあるとか無いとか言われることがよくあるけど、
作る側ならまだしも受け手の好みにセンスなんかあるのかなっていつも思ってる。

自分の好きなものを他人に勧めるときには、
数ある中から相手が好みそうなものを選ぶセンスとかは必要になってくるけど、
自分が何が好きで何が嫌いかなんてことに正解なんかあるんだろうか。

流行りの芸人が面白い、面白くないっていうのもよく話題になるけど、
それを好きだっていう人がいるんだからもうそれでいいだろってずっと思ってて、
面白くない派の人がわざわざ他人の趣味に文句をつけてるのが不思議でしょうがない。
もちろん面白いと感じてる人を攻撃するのがおかしいと思ってるだけで、「自分は面白くないって感じる」って言うだけなら何も問題ないと思う。その場の空気にもよるけど。

他人を否定するときは慎重にしないといけないと思って生きてきたから、自分の感情だけを根拠に他人を否定できる人に恐怖を感じるのかもしれない。

ちょっと話がずれた気もするけど、要は他人の趣味って口出しできるものじゃないなっていう考えに落ち着いた。

2014

今年のことは今年のうちに振り返っておいたほうがいいと思って焦って書き始めた。

今年は就活が終わって何故かすぐ卒論だったり夏休みも卒論だったり秋も冬も卒論だったりでとにかく忙しかった。

資格の勉強も切羽詰まってたけどなんだかんだ合格したり、結局ぜんぶ乗り切ってきた自分のことをとてもえらいと思う。

まだ卒論出してないけど。

大学の4年生はもっと楽なものだと思ってたけど完全に幻想だった。

今までの人生で今年が一番忙しかったような気がするけど、働き始めたら普通にもっと忙しいんだろうな。

そう考えると卒業したくない気もするけど、教授の呪縛から一刻も早く逃れたい感じもある。

卒業しよう。

そんなことよりスケジュール帳と家計簿とtwitterがあれば大抵のことは思い出せるっていうことに気付いた。

断片さえ分かれば意外と思い出せるんだな。

日記は書ける気がしないから来年もこの感じでいこう。

色々あった一年だった。

急遽髪を切った

内定先の研修に備えて急遽髪を切った。
急遽髪を切ったら急遽髪を切った感じの髪型になった。
髪を切って失敗したときにいつも思うけど、
美容師は何を見て「こんな感じでどうですか?」って言ってくるんだろうか。
切られている自分は途中からずっと
「これはやばい」とか「ひぃ〜〜〜〜〜」とか思いながら見てるんだけど、
美容師の中では何か手応えがあるんだろうか。
鏡を見つめてバランスを取りながら淀みなく手を動かしてるように見えるけど、
バランス取ったところでこれはどうなんだって思いながら見ている。
いったいどんなのを目指して切ってるんだ。
いつの間にか完成してたらしくて
「こんな感じで大丈夫ですか?」って聞いてくるけど、ぜんぜん大丈夫じゃない。
「これ求めて美容室来るやついるの?」とか
「美容師なら余計にこれは大丈夫じゃないと思うべきじゃね?」って思う。
ぜんぜん大丈夫じゃないけど「大丈夫です」って言う。
最終的には「ワックスってすごいなぁ〜」って思う。
研修がめんどくさい。

「どんな鍵のかかった扉でも開けられる魔法」について思うこと

鍵を開ける魔法や呪文って色んな作品にあると思うけど、
よく考えたら「鍵を開ける」ってどういうことなんだろう。
そもそも鍵って何だっていうところからわからなくなってきた。
鍵穴に鍵を差し込むタイプもあれば、閂みたいなタイプの鍵もある。
どちらも同じ「鍵のかかった扉を開ける魔法」で開けられるとしたら、
魔法を唱える人は、どんなイメージでその魔法を唱えてるんだろうか。
「特定の言葉を唱えたらその効果を得ることができる」(『アバカム』って唱えるとか)っていうのが魔法を使うときのお決まりのパターンだと思うけど、
どうしてどんな鍵でも開けられるのか、魔法使いは疑問に思ったりしないんだろうか。

敵を攻撃する魔法とか味方を回復する魔法とか、色んな魔法があるけど、そういうのには何の理屈も要らないと思ってる。
火を出しても傷が回復しても「魔法だから」の一言で納得できる。
でも、そういうのと「扉を開ける魔法」は全然違う種類のものだと思う。
「扉が開く」っていう結果はシンプルだけど、「扉」や「鍵」っていう人工的なものが絡んでるところとか、扉にも鍵にも種類がありすぎるところとか、他の魔法に比べて明らかに特殊だと思う。
同じ作品に何食わぬ顔で登場するのが不思議なくらいに。

「どんな鍵のかかった扉でも開けられる魔法」を作品に登場させる人は、「火を出す魔法」と「扉を開ける魔法」の違いとか、扉が開く理屈とか、そういうことを考えて登場させてるんだろうか。
考えてなくても作品を楽しめるんだけど、どうせなら考えてくれてたら嬉しいなぁ。